マチュピチュ遺跡


高度2000メートルを越える高山の中に静かにその都市はあったのだと言います。
インカ帝国の空中都市と呼ばれているマチュピチュ遺跡です。
山裾からは確かめることもできない遺跡です。
スペイン人がインカ帝国を亡ぼしたときも、その位置のために難を逃れたのです。
マチュピチュ遺跡は1911年にアメリカの歴史学者であるビンガムによって発見されました。
その後の発掘調査によって多くのことがわかってきました。
但し、現代においても多くの謎が残る遺跡です。
マチュピチュが世界遺産に登録されたこともあり、世界中から観光客が訪れています。
日本人の観光客もたくさんいるようです。
アンデス山脈の断崖に囲まれたマチュピチュ遺跡は、古代歴史へロマンをかき立てられるものです。
精巧に組み上げられた石積みはその製法だけでも謎としています。
また、都市の中に張り巡らされた水路は、段々畑へと流れていきます。
マチュピチュ遺跡を訪れた人は誰でもがそのスケールに感動するのだそうです。
写真だけではもの足りなくなってくるのでしょう。
マチュピチュという言葉は現地の言葉で「老いた峰」という意味です。
その山の頂に作られた都市なのです。
全盛期は10000人ほどの人が暮らしたと考えられています。
それらの人を飼うだけの食料を決めることができたのです。
観光客として一度は訪れたいと遺跡と言えます。
ブログなどを検索してみませんか。
ツアーで行った人、個人的に行った人など大勢がその時の記録を書いています。
あこがれの地に立った気分を誰かに伝えたいという気持ちになるのでしょう。

マチュピチュの研究

インカ帝国の遺跡として破壊されずに残るのはマチュピチュでした。
山の上にあり、ふもとからはその存在すらうかがい分かることはできません。
マチュピチュを略奪者から守ったのは、その場所だったのです。
マチュピチュを発見したのは歴史家ビンガムでした。
彼はインカの道路を探検していた場合偶然察知のだそうです。
1911年のことでした。
察知後、詳細な発掘を通じています。
そうして、マチュピチュに関する書籍や論文を発表しました。
その書籍の一つである「失われたインカの都市」が大きな反響を呼びました。
そしたら、「マチュピチュ インカの要塞」という写真と地図が掲載された論文を発表しています。
この発表によって、マチュピチュがインカ帝国の中でどんな意味を持ち歩いていたのか、どんな生活が行われていたのかを決定づけた説となったのです。
但し、その後の研究によって、その多くは間違いであったことがわかってきました。
インカでは太陽をあがめる神官たちが統治していたということや、太陽神のために生け贄を捧げていたということです。
やはり、ビンガムが敢えて間違う説を唱えたということではありません。
当時のビンガムの情熱によって、インカ文明の多くのことが解明されたのは事実であり、それが学会で大きな影響を与えてきたのも事実なのです。
マチュピチュは要塞ではなく、太陽の動きを知るための施設であったということが最近の学説として定着しています。
太陽を知ることは、太陽ものの位置で正確な測量を行うことが必要だったのだと考えられるようになったのです。

マチュピチュ旅行


古代遺跡へのロマンをかき立ててくれるのがマチュピチュ遺跡です。
世界遺産に登録されたペルーの遺跡です。
世界中から多くの観光客が訪れています。
マチュピチュを見てみたいとずーっと思っていた人たちが一度は巡るのでしょう。
マチュピチュ遺跡を確かめるのであれば、旅行会社のツアーが確実です。
勿論、海外旅行が初めてというのであれば、そのための予備知識も必要となります。
マチュピチュ遺跡の写真を見ると、うまいことは分かるのですが、その土地の状況はわかりません。
生活の仕方の違いから、体調を崩す人もいます。
どうにか長年の夢がかなって観光に来たのですから、万全の態勢で臨みたいものですね。
何度か海外旅行を経験したのであれば、マチュピチュに行くための知識を十分に所持しておきましょう。
マチュピチュ遺跡の場合はどこに宿泊するかが重要です。
朝早くにマチュピチュ遺跡を探ることが好ましいようです。
朝もやの中のマチュピチュがだんだんと姿を現してくるところは、エラいの一言なのです。
アンデスの断崖に囲まれた古代都市で、当時の人がいかなる生活を営んでいたのでしょうか。
マチュピチュの内部を見分けるだけであれば、2時間程度で済みます。
でも、のほほんとロマンへの思いを馳せていたいのであれば、しばし時間があってもいいでしょう。
遺跡の中にはトイレがありません。
入り口のところだけです。
こうしたことも知識として知っておきましょう。
十分計画を練ってから、ツアーに参加するほうが後悔せずに済みますね。
何事も備えあれば憂い無しです。